日本の農村の歴史は獣との攻防の歴史?


写真は農家さんが獣害を防ぐために畑の周りに張り巡らせたトタン板の囲まれた畑の写真です。

畑に侵入してきたイノシシの足跡が見えます。
このような獣と農家さんの攻防は今や日本の各地で見受けられます。

この百年間、人間の活動が活発で開墾や開発などで自然破壊が進み、動物たちの数も減ったためか獣害が話題にのぼる事はほとんどありませんでした。
しかし、ほんの百年前までの日本では、人と獣は畑の食害を巡って常に攻防を繰り返していました。

オオカミを神の使いとして崇める秩父の三峰神社のお札を玄関に貼って大切な畑が獣害に遭わないように、と祈るほど獣との攻防は激しかったようです。

畑にやってくる獣を追い払うために「猪垣」と呼ばれる石垣を延々築いたり…。
でも時折猪垣に迷い込んでくる獣たちは村人たちにとってたいそうなごちそうだったに違いありません。「落とし穴」を猪垣近くに掘って積極的に捕獲をしていたようです。

さらに、「猟銃は農具の一つだった」という説を唱える学者さんがいるほど積極的に狩猟も行われていたようです。
獣もまた減少と増殖をくりかえしてきました

 

第2次世界大戦前までエゾシカの肉や皮が輸出品目になっていたために乱獲され絶滅の危機まで追い込まれてしまいました。

そのことにより禁猟の時代が長く続きましたし、ほんのつい最近まで雌シカは狩猟の対象に認められていませんでした。

近年、厳しい保護政策の成果が表れ、頭数が増えてきていますが逆に、シカの増殖と反比例してオオカミの絶滅、狩猟者人口の減少、高齢化などシカの天敵となるものの数は大きく減少しています。

近年の獣との攻防は地域の存続をかけた攻防へ
日本各地に「サル山」や「シカ公園」を見る事ができます。
ということは、それらが観光資源になるほどそれらの獣たちを見る事が稀だった、と考えられるかもしれません。

一時は姿を見る事も稀になった獣が百年ぶりに数を増やして再び人里に現れるようになったのが現在です。

百年前の獣との攻防は個々の畑の問題でしたが、今では中山間地の人口減少が激しく、さらに住民の高齢化も進み、「限界集落」が増えています。

高齢化が進むことで耕作されなくなってしまった畑「耕作放棄地」も増え、畑が藪化し、獣が里地に潜みやすくなりさらに畑の食害に拍車をかけます。
食害を受けた農家は耕作意欲をなくし、耕作放棄地はさらに増大…。

現在の獣との攻防は個々の畑を守る争いに留まらず、地域の存続にもかかわる攻防に発展している様相を呈しています。

獣に追われて集落から人が撤退という事態も起こり得ることかもしれません。

長野県諏訪大社が発行する鹿食免のお札。
諏訪大社には狩りをする者は猟師から武士、時代の将軍までが唱えた「諏訪の勘文」というものがあります。
これは「慈悲と殺生を両立する」というお諏訪さまの説でありこの説を鹿食免のお札として発行しました。

昔から獣との攻防はあり、獲れた獣を食材としてきたのですね。