狩猟者は命の大切さを知っている


ハンターになって命の大切さを知る

狩猟にあまり関心のない人にとってハンターは危険な銃器を持って見境なく獲物に発砲する、危険極まりない荒くれた人物を想像するかもしれません。
事実、過去には銃器を使った悲惨な事件も発生して大切な命が奪われました。

しかし、狩猟の現場に触れるとハンターの皆さんの獲物に対しての真摯な態度、自然に対する畏敬の念には見習う事が多々あります。
さらに普段私たちが遠ざかってしまった「他の生き物の命を頂いて私たちは日々生きている」という事実を実感したり考えせざるを得ません。

現代ではほとんどの人が「他の動物の命を奪う」という体験をしたことがありません。
しかし、私たちが普段、毎日3食食べている食料は元を辿れば必ず動物、植物にたどり着きます。
いわば、私たちは日々3食、動植物のご遺体を体の中に取り込まなければ生きていけない生き物なのです。

それなのに現代では仕事が高度に細分化されていますから動物を殺して肉を得る現場に立ち会う機会どころか考えたり想像する機会さえありません。
動物どころか野菜だって育てて収穫する現場でさえ見ずに済んでしまっています。
「給食費を払っているからウチの子どもに「頂きます」と言わせないで。」という父兄がいるそうです。
「いただきます」は私たちの食の犠牲になってくれた動植物たちへの感謝の言葉のはずなのですがそんな意味さえも忘れられてしまっています。

ハンターは自らの手で奪った命の責任を知っている
獲物を見つけたハンターは自らの判断で引き金を引いてその動物の命を奪います。
引き金を引いた瞬間からその動物の命に対しての責任をすべて負う覚悟をするわけです。

生きている時はつややかな毛皮をまとい、つぶらな澄んだ瞳をしたシカが命を失った瞬間から瞳の輝きは失われ、白濁し、乾燥して皺まで寄ってきます。
そして一度奪ってしまった命は、もう戻ってきません。

ハンターが獲物に対してできる事は、出来るだけ丁寧に肉を持ち帰ってあげる事、美味しく食べ切ってあげること、そして獲物となってくれた動物の姿を忘れずにその肉を楽しむときにはその獲物になってくれた動物がいかに素晴らしかったかを思い出してあげることでしょうか。

ハンターの中には獲物を撃つことだけに興味がある、という人や自分の銃だけに関心がある、という人もいるかもしれません。
でも、そのような人だって獲物を倒した際に心の中に罪悪感や責任感など心の疼きを感じるはずです。
そのような心の疼きを感じる経験こそ人の命が軽んじられている現代に必要な経験ではないかと考えます。

狩猟は大人のための命の教育、環境教育だと思うのです。

グッドハンティング・シカの解体教室 参加者は皆、真剣です。